稽古について
北辰一刀流の稽古は、自分の持っている能力を極めることが目的です。
『自分のことは自分が一番分かっている。』といいますが、誰しもが、自分を誤解しています。「欲」という色メガネによって、人は自分を正しく見ることができないのです。その自分への偏見を、北辰一刀流は、稽古によって解きます。
自分の出来ないことをしようとするから、悩み苦しむのであって、出来ることと出来ないことが明白になれば、悩むことはありません。自分を正しく理解できれば、いろいろな物事に対して、正しい対処法が明らかになりますから、迷ったり悩んだりすることがなくなるのです。
自分の能力のへの、正しい判断力を、北辰一刀流の稽古は培います。
人間は難しいものです。1教えても、1が伝わりません。また、1教えて2,3と理解することもあります。
それは、個々の素質や育った環境・経験の違いから起きることです。ですから、一つの稽古だけで極意にたどり着かせるのは、不可能といってもいいくらい難しいのです。
禅などは、座禅ばかりでなく、作務や問答などいろいろな方便を使い、悟りへと導きます。
昔の剣の弟子は、師匠と行住坐臥を共にして、以心伝心で剣の妙を悟りました。今はそんな修行はできません。この道場では、「北辰一刀流格」「直心影流法定の型」「竹刀剣道」「基礎稽古」「試し切り」「剣術講話」「掃除」「日常生活」「懇親の場」など、人に合わせ、時に合わせ、状況に合わせた、多種多様な方法を用いて、門弟を導きます。
極意とは、人生の全てに通じるものです。逆にいえば、どこからでも極意にたどり着けるものです。ちょうど富士山頂へ登る道がたくさんあるようにです。
しかし、道によっては険しい道もありますし、案内がなければ迷う道もあります。そこに、よき指南者の必要性があります。良い指南者に就いてこそ、良い成果が得られるものです。
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