試し切り
試し切りは、剣士にとって必要最低限の心得です。刀を理解せずして刀法はありませんし、刀法なくして、武士道の鍛錬はないからです。そのため、試し切りを、納得いくまで行わなければなりません。試し切りで刀に慣れ、刀への正しい理解を元に稽古することが、今も昔も、上達の道です。
一撃で相手を倒すことは、剣術以外ではできません。他の武道では、技が決まっても、相手は必ず立ちあがってきます。つまり、体力勝負的な要素が他の武道にはあるのですが、剣術は、刀をつかうので、体力の問題が少ないのです。
刀は切れるように作られています。練習すれば、誰でも簡単に切れるようになります。女でも子供でも、一撃できれば相手を倒すことができます。ゴリラのような大男でも、刀を持った相手には用心しなければなりませんし、小さな子供でも、刀さえ持てば、大男と互角の勝負ができるのです。そこに剣術の、汎用性があります。
しかし、そのようになるには、刀が使えるということが、大切な条件です。その条件を備えるために、試し切りの勉強をします。これをクリアーしない限り、いくら剣術を学んでも、何の足しにもなりません。
普通に行われている試し切りは、速く切った、数多く切った、まとめて切った、多彩な斬り方ができるなどを競う、刀を使ったスポーツなので、武道の役には立ちません。刀スポーツは、海外で拳銃をぶっ放すガンマニアと同列の遊びでしかなく、試し切りマニアというものです。
本当の試し切りを学んで、本当の武道の心、武士の魂を見つけることが大切です。
手削り木刀
木刀は、切り落としを発見するために重要な道具です。刀で稽古するのが最適ですが、危険を伴いますので、刀に似た良い木刀が必要となります。大工の棟梁は、弟子に最高の道具を買って与えます。それは、道具が悪くては、いくら頑張っても良い仕事ができないからです。剣術の稽古も、要望等が必要です。
市販の木刀は、売るためのものですから、万人向けに作られているので、個人向けには、太さやバランスがよくなく、稽古に適していません。技を学ぶには、自分に合った木刀が必需品です。
たとえば、一般の一刀流の木刀は、今は太くなっています。太くなったということは、当初は細かったわけで、未熟な者は、よく折るので、折れない太い木刀使い出したということです。しかし、木刀を太くして折れないようカバーするというのは、間違った考え方です。今の一刀流の木刀では、本当の切り落としはできません。
私は30歳のときに、近所の棒作りの職人さんのところで削り方を学びました。削るのは、職人さんが上手でも、技を出す微妙なバランスは、技を知る者でないと分からないものです。以来、私は500本近くの木刀木剣を削ってきました。
北辰一刀流の木刀は、第6代の使った木刀と同じ形です。その木刀は、第5代の使った木刀です。このように、代々受け継がれてきたものです。その木刀を参考にして、門人の木刀は、すべて私が手削りして、使う人の手の大きさや、癖に合わせて、上達の助けになるよう調整しています。
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