武道の目的

武道の良さ

武道の良さ・・・それは、人を強くすることです。何だ、そんなことか。と早合点はいけません。真の強さとは、相手を倒す強さではなく、困難に打ち勝つ強さのことだからです。

サムライが求めた強さは、死をも恐れぬ強さ【心の強さ】でした。

1例をあげれば「葉隠」に書かれている武士道です。
『武士道とは、死ぬことと見つけたり。』とあります。
つまり、死ぬことが怖くては、サムライをやっていくことができないのです。
その死も、自暴自棄になって破滅するような程度の低いものではなく、己の心に納得した上での、生以上に価値ある死です。

死は何よりも怖いことです。

その怖さを乗り越える強さがあれば、人生は怖いものなし。

その心を、武士は剣術で作っていたのです。

刀で鍛える武士の心。

刀が武士の魂と言われたのは、そんな訳でした。


 剣術の良さ 

それでは剣術でどの様にして、死を恐れない心を作ったかというと、

直心陰流では「法定(ほうじょう)之型」の稽古、念流では笊をかぶって相手に背中を打たせて突っ込む稽古、新陰流では「合っし打ち」の稽古、そして北辰一刀流は「切り落とし」の稽古。つまり【相打ち】を土台とした稽古で、精神を鍛えました。

相打ちというのは、共倒れのことですから、斬られる心を作る稽古といってもよく、打たれ強くなることが大事で、今の武道のように、相手を倒すことに主眼を置いたものではありませんでした。死の恐怖を乗り越える稽古なのです。

そして、これが剣術の稽古でしかできないことであり、剣術の極意でもあるのです。 

人間、死以上に怖いものはありません。

死の恐怖から解放されれば、怖いものがなくなりますから、

どんな時でも堂々とした強い人になれます。

達人山岡鉄舟は、ある人から剣の極意を尋ねられて、「浅草の観音様に預けてある」といいました。その人が、浅草寺境内で探したところ、本堂の真上に【施無畏】(せむい:おそれなきをほどこす)という大きな額が掲げてあったそうです。


何物をも恐れない心を作ることが、鉄舟の示した剣術の極意だったのです。


 負けない人になる 

真理は、

どんな名人も、【自分より強い人には勝てない】ということです。

どれだけ強くなって全てに勝っても、年をとれば、必ず負けるときが来るわけですから、勝ちに全てを懸けることは、無意味で、無駄なことです。しかし、後で話しますが、負けない人になることは可能です。

世界チャンピオンという強さも、せいぜい4年。一瞬の栄光は、すべてを忘れさせてくれるかもしれませんが、人生は長くいですから、その名誉だけでは、不安や不幸、恐怖から自分を救うことはできません。長い人生から見れば、勝つことでは、何も変わらないのです。

そればかりか、勝利の栄光や名誉は、人生を誤らせる元になります。勝つことを求めることは、有害なのです。

剣術の稽古は、そのような肉体の強さを求める修行ではありません。心の強さを求める稽古です。

心は、どうすれば強くなるかと言うと、困難にぶつかると成長して強くなるのです。しかし、実際の困難に会うことは、誰もいやですから、模擬体験で、心を強くするのが、剣術の稽古です。

ですから、剣術の稽古では、勝つことが重要ではなく、打たれて辛くなった心を、立ち直させることが試されていきます。つまり、剣術では、負けるところに、大切な学びがあるのです。

そこで真の剣術指導者は、【相打ち】の稽古をさせます。斬らせて斬る稽古です。相手に勝てなくてもいいのです。その代わり、【相打ち】ですから負けもしません。

これを、負けない稽古といいます。

相打ちは共倒れ。誰もが嫌がるところですが、相手も嫌がるところがポイントです。つまり、死ぬ気になれば、相手が嫌がって勝負を避けます。初心者でも、名人とも互角になれるのです。

これが、武道の神髄です。

この、武道の真髄を身につけた人が、覚悟のできた人間といわれます。この覚悟は、人生に役に立ちます。

つらいことに負けない人になります。

迷うことに負けない人になります。

不安に負けない人になります。

失敗や貧乏に負けない人になります。

不幸に負けない人になります。

そんな人になれる、覚悟を作るのが、真の武道の稽古です。

勝つことが楽しいと思っている人は、井の中の蛙で、うなぎを食べない人が、うなぎの美味しさを知らないように、真の楽しさの分からない人です。

負けない楽しさを知った人は、負けてないから楽しさしかない。どんな苦しみや悲しみも、その人を、負かすことは出来ません。

北辰一刀流は、そんな人間をつくります。

北辰一刀流 (第七代宗家 椎名市衛成胤)

北辰一刀流(第七代宗家椎名市衛成胤先生の北辰一刀流)道場のホームページです。

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