女性が女性のままで努力したとき 1

和空さんが言いました。

『女性が、女性のままで努力したとき、それを「精進」といい、その人に自信をもたらしてくれます。しかし、女性が女性であることを否定して、男性に負けまいと努力したとき、それを「我張(がんばる=我欲を張る)」といいます。自分の生まれを否定することですから、その人は劣等感にさいなまれることになります。』負けまいとして起こる、いろいろな社会的地位を求める声などは、劣等感から来るのです。

さて、「精進」すると、なぜ自分に自信が出来るかというと、自分のありのままの姿が見えて、自分の生の意味、なぜ生きているのか、何のために生きているのかが、はっきりと分かるからです。「私は、これだから生きているのだ」との、確信を得ることになるのです。それを「悟り」と言ったり、「天命を知る」と言っています。

スポーツや武道では、弱い人が、人に負けまいとしてトレーニングや練習をしていますが、これは「我張」になり、いくら強くなっても、不安や劣等感は変わりません。根本的に、強さを肯定し弱さを否定していますから、弱くなる恐怖が日ごとに強くなり、追い抜かれないために、もっと強くならねばという不安から解放されなくなるのです。そして、やがて年齢という限界を知り、引退することになります。

金持ちは、もっと金がなければ不安だと感じてるから、金儲けを「我張」のです。いろいろ金持ちの理屈はあるでしょうが、私たち貧乏人から見れば、十分すぎる資産があるのに、なぜ安心できないのだろうかと、滑稽に見えます。江戸時代の人は、宵越しの銭がないほど貧乏でしたが、私たちよりも、ずっと幸福感のある生活だったことが知られています。

ウォーキングなども、健康への不安や劣等感から行われます。動物は、トレーニングしません。不安や劣等感を持たないからです。弱い人は、弱いままに努力すること、「精進」こそが安心=幸福への切符です。

つづく

北辰一刀流 (第七代宗家 椎名市衛成胤)

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