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毎日が新しい発見の連続(特別門人 舘内 浩二)

私は、令和5年6月に入門しました。特別門人というのは、住まいが遠方のため、年数回の対面稽古と、毎週ZOOMで指導を受ける門人です。長く剣道をやっておりましたが、北辰一刀流の修行を始めてから、毎日が、今までにない新しい発見の連続でとても楽しいです。現代剣道は、武道というよりは競技であり、体力があって瞬発力があってスピードがある者が勝つものです。それに対し、北辰一刀流の教えは、刀を持った人間が、命のやりとりをするために、如何に身体を使うか、如何に心を鍛えるかという工夫に満ちています。まさに、長きに渡り日本人が培ってきた伝統技術です。私は宮城県なので、月に1度しか道場の稽古に参加できません。それで、道場で教えていただいたことを、自宅や、近くのトレーニングセンターで、一人稽古します。一人稽古していると、様々な疑問が湧いてきます。時々自分でも、何をどうやったらいいのかと、悩んでしまうときもあります。それを、毎週オンラインで、宗家が解決してくれます。また、門人の実演する動画の見方を教わり、その長短所を自分の稽古に生かす勉強もします。さて、流祖の剣聖千葉周作が、少年時代を過ごした斗瑩稲荷神社は、私の住まいのすぐ近くにあります。このような縁もあり、東北の地で、北辰一刀流を学ぶ人が、増えて欲しいと思っています。そのために、まず自分が、北辰一刀流や直心影流を極めて、いつか、その素晴らしさを伝えられる人間に、なりたいと思っています。

2023年元旦1万本素振りに挑戦した 。( 岡本 秀之)

■準備 ・1年前は1千本も未知の領域でできる気がしなかった ・直前の準備で未経験の本数3千本を3回(3日)振った ・1日目は疲れが残ったが、2日目3日目は平気だった ・経験があれば心も身体も慣れる ・1度できてしまえばたいしたことなく、いつでもできる感覚になる■継続  ・毎日の素振りを続けることが大事  ・先生の受け売りだが、できない日があったとしても次頑張る気持ちで自分を責めず、淡々と続ける  ・毎日1千本の素振りを続けていれば1万本振る身体はできあがるように思う■経過報告 ▼3千本まで  ・経験がある範囲で問題ない▼3千〜4千 ・まだ問題ない▼4千〜5千 ・振っても振っても1万本に近付かない感覚になり、達成できるか疑心暗鬼になる ・こんなにやっているのにまだ半分に満たないと先が見通せず不安になる ・ボーっとしてきて本数のカウントが怪しくなり、進むのがとても遅く感じる ・時々意識が飛び、自分がどこにいるかわからない感覚になる ・何も考えず剣先の位置、軌道などに注意を向けていない ・百本単位でカウントの重複(ループ)があり時間がかかったのか、正しくカウントしていて遅く感じただけなのか定かではない ・1番辛かった時間▼5千〜6千 ・半分を過ぎ少し心落ちつくがまだボーっとしている ・カウントの感覚は戻り、数えただけ進んでいる ・身体は普通に動く▼6千〜8千 ・後半戦進み終わりを見通せるようになり頭が冴えてくる ・身体の疲れを感じるようになる▼8千〜1万 ・終わりが近付き心軽くなる ・疲れてはいるが心が身体を引っ張る感じ ・1万本到達後、最後総まとめしようとプラス百本を特に丁寧に振る ・それくらい心も身体も充実していた(少し余裕がでた)■感想 四千〜五千の不調は、未経験、終わりが見えない等、不安な心が現れたもの。 最後二千本の心を、ずっと通して保てれば、1万本を問題なく、ペース乱さず振れた。 実戦での長期戦を想定すれば、心乱した方が負ける、を実感できたように思います。 次、1万本振ったら今回より楽に余裕を持って終えれそうです。■今後について・内弟子ではないサラリーマン剣士であり、毎日道場稽古ができない環境であるため、道場稽古に加えて、ひとり稽古を重視する・跳躍素振りだけでなく、振り棒等にも励む・自宅環境に合わせた道具の加工や、稽古のタイミングなど工夫する・鍛錬系の稽古だけでなく、道場稽古の復習(フィーリングの確認)も大事・道場稽古からできるだけ時間をおかずに復讐する・型の繰り返しも稽古する・読書にも取り組む            以上

北辰一刀流に入門して(総本部道場 渡邉宗一郎)

一年の計が建てられた!昨年、北辰一刀流に入門してから、一歩を踏み出す大切さを感じる機会が多くありました。それで、初めて、元旦に連続素振りに挑戦しました。先輩方は10000本とか3000本とかですが、私は先輩の方に遠く及ばず、300本×2回がやっとでした。それでも、今までの最高本数を更新したのです。そして得た気づきは「辛いことに目を向ければ苦しくなり、希望に目を向ければ楽しくなる」ということでした。やはり雑念を消すには、ある程度の本数をこなす必要がありますね。途中から、「腕が痛い」「これ姿勢大丈夫か?」「音うるさくないかな?」と、素振り以外の思考が勝手に出てきます。そして、ある程度の本数になると、意識が苦しいところに行き、体がしんどくなるのですが、時々、しんどさが薄れる瞬間があることに気付きました。それに気づき、あえて痛い部分から意識をズラすようにしてみると、余計な力が抜けてきました。すると、「あ、これならいけるかも!」「意外と何とかなるかも!」と、前向きな気持ちが出てきました。始める前や、しんどくなっている途中は気が重いのですが、やってみると案外出来てしまうもの、つまり、苦しいとか大変だと思うことを乗り越えてしまうと、かえって今まで大変だと思っていたことが楽に思え来ることが分かりました。1年の計は元旦にあり。元旦の経験や学びは今年1年のひな型。今年はそんな感じを得たので、自分の枠を広げられるように、成功以上に、成長の機会を重視していきたいと思います。どうぞ宜しくお願いいたします。

北辰一刀流に入門して(総本部道場 阿久津 完)

入門のきっかけ・・死との対面から数年前、11月の肌寒い時期に登山中に、遭難をしかけたことがあります。 少し変な感想ですが、リアルな死に直面した時、恐怖心はあるのですが、どこか身体が楽になった気がしました。生という目的のために自分が持ちうるリソース、知恵のすべてがフル稼働していたのを覚えています。振り返ると、とてつもなく「生」を実感し、生きているという感覚を味わった瞬間だと思いました。現在は、仕事で大きな挑戦をしたり、色々追い込まれることもあるのですが、そのような緊張感、高揚感と比較しても、あの時の、自分自身が生と本気で対峙し、とてつもなくクリエイティブだった体験が忘れられませんでした。あの時は、本当の自分が出せているという感じがしていたからでした。日本中の道場を調べたこの感覚が忘れられなく、遭難以外で体感できる場は無いのかを、ずっと無意識に探していました。そんな時、格闘技は、私が求めていた感覚に近いのではと思うようになりました。格闘技は昔から好きで、実際にやってはいなかったのですが、ずっと動画で見ていました。特に、実際に試合していた選手が、どのような意図でこの動きをしたのかを解説してくれる動画が好きでした。達人の心の中が垣間見れる感覚が好きでした。でも、何か違和感を感じていました。そんな時、たまたま剣術を見る機会があり、真剣は、抜いたらどちらかが死ぬということを聞きました。竹刀の剣道でなく、抜いたら最後、どちらかが命を落とす可能性ある剣術は、私の求めていたものだ!と思いました。そこから日本中の道場を探し始めました。そして、偶然椎名宗家の動画やホームページを拝見し、宗家が見ている心象風景や内容は、正に自分が求めていたものだと感じ、すぐに体験の申込みをさせて頂きました。何故か、体験を申し込む前から、自分は前からここにいるような不思議な感覚になりました。実際に体験をさせて頂き、求めていた以上のものがそこにはありました。私の住まいからは、道場まで2時間近くかかり、まだ幼い子供も2人いるので、妻と話さないといけないこと、時間が必要なため、何かを捨てる決断が必要なことなどはわかっていたのですが、それでも入門しない選択肢は一切ありませんでした。入門してよかったこと入門して良かったと感じることは、人生の指針となる考え方、在り方を日々の稽古で学ぶことができることです。 まだ入門して数ヶ月ということもあり、稽古に行くたびに気づきに溢れていて、感動しています。先生の教えやヒントから、過去の出来事に対する理解や、ものの捉え方が、今までと大きく変わってきました。入門したきっかけは、自分の中にあった違和感の答えがあるかもしれないという、とても私的なものでした。しかし、実際に入門してみると、そこには、伝統という、日本に脈々と流れ続けている大きなもの、日本人として捨ててはいけない大切な「ものがありました。それを、宗家、門人の皆さんが体現されていました。やっと本物と出会えたという喜びの感覚と、今までに感じたことのない歴史の重さに圧倒されました。本物は違う私自身は元来ルールに縛られたくないと思っており、ベンチャーで働いていることもあり、既存のルールを壊す事も仕事のひとつとなっていました。そのため、礼儀、作法には苦手意識がありました。本当の意味や意図を教えられたことが無いので、やることの意味を心の奥底では見いだせていなかったのかもしれません。しかし、宗家の道場では、本物の礼儀、作法を、その本当の意味から形まですべて丁寧に教えて頂けました。本物は、素人目でも美しさや、かっこよさを感じます。純粋に、私もそのレベルでやりたいと思いました。所作や礼儀を教えて頂く過程で、相手を気遣うことの本当の意味も教えて頂きました。日本の中にある、変わってはいけないものの1つだと教えて頂きました。入門して変化したことその他にも、道場での教えや稽古を通して、自分が探し続けていた無敵(負けない)という状態の意味がわかったり、自分の恐怖と対峙することができる場所ができた等、良かったことを上げると切りがないです。ただ、自分の心の変化で大きかったのは、過去の偉人達が命をかけて学び、脈々と受け継がれてきた考えや心構え、そして人としての在り方、もちろん剣術上達に関わる技術や身体の使い方含めて、しっかりと受け継ぎ、未来に伝承させたいと、心から思うようになったことでした。先生の教え1つとっても数日、数ヶ月でわかったというものは無く、日々体現していく中で、これかもしれないという小さな気づきを続けていくのがまだやっとですが、命ある限り学び続け、極意を掴みたいと思っています。入門して、先生の考え方、在り方に触れることで、考える際の拠り所ができました。何か行動するにしても、稽古で学んだ考え、覚悟が鳴り響くようになり、物事へのスタンスが変化しました。 大きな変化の一つは、継続し続けることで上手くいくことがあることを理解したことです。現代は、技術の発展が著しく、人から求められるスキルは日々に変わっています。2年かけて学んでも数年立つと使えなくなるものもあり、日々新しいことを学び続け、1つのことを学び続けることが少なくなってきたように感じます。 そのような時代の中で、剣術を通した学びだけは、生涯変わらないものだと感じています。生涯通して学び続けるだろうと思えるものに出会えたこと、そして、学ぶと決断できたことで、人生が純粋に楽しくなりました。仕事にも大いに影響している仕事にも大いに影響しています。普段は人事で、組織作りや育成を中核の仕事にしています。その中で、人に対してコーチングを行うことがあるのですが、コーチングの心象風景と、剣術の心象風景がとても似ており、稽古に行けばいくほど、仕事のパフォーマンスがあがります。特に、稽古をしているときの体験や感覚を話すことができるようになってから、人の決断の後押しをすることが、よりできるようになりました。 そして、驚いたことに、多くの方が、道場での体験の話しに興味を持ってくれます。これは、修行する者にとって、大変うれしいことです。日本の中で洗練されていった剣術だからこそ、日本人として大切にする考えや在り方が凝縮されているからだと思います。剣術の神髄の考えに触れることで、人の琴線に触れることが多いのだと感じています。私は、剣術の中に、日本人が本来求めていた何かを見出したのかもしれません。周りの反応妻からは、普段でもあまりにも楽しそうにしているから、こちらまで楽しくなる、とよく言われます。特に道場に行った後は、道場での学びを、昔から知っているかの如く話してしまうので尚更かもしれません。 周りからも、本当に楽しそうに喋る、輝いているねと言われることがあります。夢中になれるものを見つけたということも有りますが、極意が継承され続けている剣術に触れるだけで、人として語れることが多くなった気がします。そして、周りとの会話の中で、事あるごとに剣術で学んだことや体感を具体例として出すことが多くなったせいか、対談に呼ばれるようになりました。生涯続けようと思えるものに出会えることは、運が良かったことです。とてつもなく長い年月を経て築き上げられてきた、変えてはいけないものを、それを、これからも学び続けていこうと思います。

感じた【他とは違う本当の武道】(総本部道場 坂部健吾)

1、他とは違うと感じた点私は入門して、もうすぐ一年になります。初めて道場に見学させて頂いた際に、宗家より北辰一刀流の歴史についてご教授を頂き、格式の高さに感心したのと同時に、稽古の雰囲気や、門弟の方々の人間性を見て、この道場は、今まで知っている武道とは、技術面、精神面において全く別物と感じました。2、入門の動機 その時、宗家から「人間は肚を決め、死ぬ気になって掛かれば、達人も素人も互角であり、相打ちである。鍛えるべきは、いずれ衰える肉体ではなく精神である」「人同士で争い、地位や名誉を得ることは虚しく、人は、天から認められるような天爵を目指し努力すべきである」とのお話を頂き、感銘を受け即入門を決意致しました。3,体験までのいきさつ私は元々格闘技が好きで、学生時分は柔道を、社会人になってからはボクシングジムに通っていましたが、ジムが閉鎖となり新しい事を始めようと思い立ち、習ったことのない剣道を始めようと、宗家のホームページを拝見したことがきっかけでした。北辰一刀流の事は殆ど知識がなく、普通の剣道をイメージしていたのですが、予想と違い、真剣を用いた試し切りや型稽古などを行っており、興味を持ち直ぐに体験を申し込みました。4,入門してみて実際に入門してみますと宗家や兄弟子の皆様が、とても優しく接してくれるので、不安は全く感じませんでした。技のご指導は、洗練されていて大変わかり易く、まだ一年もたってませんが、かなり動けるようになり、さすがは日本一合理的といわれる北辰一刀流の指導だと感じました。また、稽古のときに、宗家から頂ける数々の武道と人生の心得についてのお話が、他では聞くことのできない大変貴重なものだということも、大きな人生の収穫で、入門してよかったと、しみじみ思っています。5,入門してから変わったこと入門してからは、日々の仕事や生活に於いての心構えも変わり、まだまだ未熟者ではありますが、稽古や宗家のお話を通して培った精神を基に、友達や仕事の同僚、部下に対しても、争うのではなく認め合う心を持ち接する事が出来るようになり、人にではなく、天に恥じない行動を取るように心掛ける様になりました。6,周りの人の意見最近、周囲の人からは、「生き生きしてるね」とか、「坂部さん笑顔が多くなったね」とか言われるようになり、これは稽古の効果だなと感じるようになりました。そんな私ですが、ちょっと悲しいことに、妻は、なかなか稽古の良さに気づいてくれていません。稽古に行っていると「浮気してないよね」とか言われてしまいます。(笑い)家庭への効果はまだのようです。そんな私ですが、毎日がとても楽しく、今は週に二日通って、相打ちの極意をつかめるよう、稽古に励んでおります。

禅と師匠

師匠の影響小川忠太郎先生の座禅は、高僧も理解できないほど高度の座禅でした。しかし先生は、座禅の弟子をとりませんでした。そこで、私は小川先生に「座禅の指導者を紹介してください」と、お願いしました。すると小川先生は「今の世の中に、正しく座禅を指導できるものは居ない。一人で、数息観をやりなさい」と言われました。数息観とは、息を数える座禅です。現代には、中途半端な坊さんしかいないから、習うと弊害が起きる。だから、坊さんには習わず、座って数だけ数えてなさいと言うことでした。下手な師につくことは、命取りと言っても過言ではないからです。これは、悪い師の極端な例ですが、私の友人は座禅がしたくて、近くに大きな寺院で坊さんになりました。そこの住職は、本山で位も高かったので、友人はいい坊主だろうと思ったのですが、実は、どこにも居るなまくら坊主だった。得度といって、坊さんになるとき、頭を丸めてくれた坊さんは、親以上の権限を持つことになっているのをいいことに、座禅なんか全くやらないで寺の雑用ばかり、こき使い、家畜並みの扱いが続いたそうです。友人は、3年辛抱しましたが、堪りかねて、坊さんを殴り倒し、縄でグルグル縛って逃げ出したといいます。師を見てくれで選ぶと、こんなことになるということですね。もう一つ。小川先生から聞いた話。「伊藤と言う中尉が居てね。戦争に行くので、立派に戦いたいからと、京都の有名な寺で座禅を始めた。必死に座るもんだから、ドンドン心境が高まって、普通の人が3年掛かる所を、一年もしないで悟ってしまった。それで、師家=指導者が『お前は悟った』と認めた。ところが、本人は、それ位の悟りでは満足しない。『俺が若いからといって、舐めるやがったな。これくらいの悟りが禅なら,俺はもう禅などやらん』と言って、飛び出していってしまった。弟子の気が、上廻っていた。正師に巡り合わないと大変なことになる。山岡鉄舟は、三島の坊さんを選んだ。それで、三島まで、東京から毎週通った。電車は無かった頃の話ですよ。それほど正師は得難いものなのです。朝東京を出て、夕方三島に着いて参禅して・・・直ちに帰って朝勤めに行く。近くの人に指導してもらえば楽だけど、つまらん奴に教わっては、ろくなことにはならない。やらないほうが増しだと、鉄舟の行いは示しています。いまは、良い先生が何処にも居ません。連盟に言われるままの剣道になりました。近所の立派なお百姓さんが「ウジ虫はウンコの中が最高の世界だと思っている。世間のやつら奴らのいるところも、ウンコの中とおんなじなんだが、ウンコを食うことに夢中で、気が付かないんだ」と言ってました。剣道も、今の連盟の言う通りが最高だと思っている人は、ウジ虫とおんなじ世界観だと思います。9段の先生方は、連盟の方針に反対していたのですから。