北辰一刀流に入門して(総本部道場 阿久津 完)

入門のきっかけ・・死との対面から

数年前、11月の肌寒い時期に登山中に、遭難をしかけたことがあります。 

少し変な感想ですが、リアルな死に直面した時、恐怖心はあるのですが、どこか身体が楽になった気がしました。

生という目的のために自分が持ちうるリソース、知恵のすべてがフル稼働していたのを覚えています。

振り返ると、とてつもなく「生」を実感し、生きているという感覚を味わった瞬間だと思いました。

現在は、仕事で大きな挑戦をしたり、色々追い込まれることもあるのですが、そのような緊張感、高揚感と比較しても、あの時の、自分自身が生と本気で対峙し、とてつもなくクリエイティブだった体験が忘れられませんでした。

あの時は、本当の自分が出せているという感じがしていたからでした。

日本中の道場を調べた

この感覚が忘れられなく、遭難以外で体感できる場は無いのかを、ずっと無意識に探していました。

そんな時、格闘技は、私が求めていた感覚に近いのではと思うようになりました。

格闘技は昔から好きで、実際にやってはいなかったのですが、ずっと動画で見ていました。

特に、実際に試合していた選手が、どのような意図でこの動きをしたのかを解説してくれる動画が好きでした。

達人の心の中が垣間見れる感覚が好きでした。でも、何か違和感を感じていました。

そんな時、たまたま剣術を見る機会があり、真剣は、抜いたらどちらかが死ぬということを聞きました。

竹刀の剣道でなく、抜いたら最後、どちらかが命を落とす可能性ある剣術は、私の求めていたものだ!と思いました。

そこから日本中の道場を探し始めました。そして、偶然椎名宗家の動画やホームページを拝見し、宗家が見ている心象風景や内容は、正に自分が求めていたものだと感じ、すぐに体験の申込みをさせて頂きました。何故か、体験を申し込む前から、自分は前からここにいるような不思議な感覚になりました。

実際に体験をさせて頂き、求めていた以上のものがそこにはありました。私の住まいからは、道場まで2時間近くかかり、まだ幼い子供も2人いるので、妻と話さないといけないこと、時間が必要なため、何かを捨てる決断が必要なことなどはわかっていたのですが、それでも入門しない選択肢は一切ありませんでした。

入門してよかったこと

入門して良かったと感じることは、人生の指針となる考え方、在り方を日々の稽古で学ぶことができることです。 

まだ入門して数ヶ月ということもあり、稽古に行くたびに気づきに溢れていて、感動しています。

先生の教えやヒントから、過去の出来事に対する理解や、ものの捉え方が、今までと大きく変わってきました。

入門したきっかけは、自分の中にあった違和感の答えがあるかもしれないという、とても私的なものでした。

しかし、実際に入門してみると、そこには、伝統という、日本に脈々と流れ続けている大きなもの、日本人として捨ててはいけない大切な「ものがありました。

それを、宗家、門人の皆さんが体現されていました。

やっと本物と出会えたという喜びの感覚と、今までに感じたことのない歴史の重さに圧倒されました。

本物は違う

私自身は元来ルールに縛られたくないと思っており、ベンチャーで働いていることもあり、既存のルールを壊す事も仕事のひとつとなっていました。

そのため、礼儀、作法には苦手意識がありました。

本当の意味や意図を教えられたことが無いので、やることの意味を心の奥底では見いだせていなかったのかもしれません。

しかし、宗家の道場では、本物の礼儀、作法を、その本当の意味から形まですべて丁寧に教えて頂けました。

本物は、素人目でも美しさや、かっこよさを感じます。

純粋に、私もそのレベルでやりたいと思いました。

所作や礼儀を教えて頂く過程で、相手を気遣うことの本当の意味も教えて頂きました。

日本の中にある、変わってはいけないものの1つだと教えて頂きました。

入門して変化したこと

その他にも、道場での教えや稽古を通して、自分が探し続けていた無敵(負けない)という状態の意味がわかったり、自分の恐怖と対峙することができる場所ができた等、良かったことを上げると切りがないです。

ただ、自分の心の変化で大きかったのは、過去の偉人達が命をかけて学び、脈々と受け継がれてきた考えや心構え、そして人としての在り方、もちろん剣術上達に関わる技術や身体の使い方含めて、しっかりと受け継ぎ、未来に伝承させたいと、心から思うようになったことでした。

先生の教え1つとっても数日、数ヶ月でわかったというものは無く、日々体現していく中で、これかもしれないという小さな気づきを続けていくのがまだやっとですが、命ある限り学び続け、極意を掴みたいと思っています。

入門して、先生の考え方、在り方に触れることで、考える際の拠り所ができました。

何か行動するにしても、稽古で学んだ考え、覚悟が鳴り響くようになり、物事へのスタンスが変化しました。 

大きな変化の一つは、継続し続けることで上手くいくことがあることを理解したことです。

現代は、技術の発展が著しく、人から求められるスキルは日々に変わっています。

2年かけて学んでも数年立つと使えなくなるものもあり、日々新しいことを学び続け、1つのことを学び続けることが少なくなってきたように感じます。

 そのような時代の中で、剣術を通した学びだけは、生涯変わらないものだと感じています。

生涯通して学び続けるだろうと思えるものに出会えたこと、そして、学ぶと決断できたことで、人生が純粋に楽しくなりました。

仕事にも大いに影響している

仕事にも大いに影響しています。

普段は人事で、組織作りや育成を中核の仕事にしています。

その中で、人に対してコーチングを行うことがあるのですが、コーチングの心象風景と、剣術の心象風景がとても似ており、稽古に行けばいくほど、仕事のパフォーマンスがあがります。

特に、稽古をしているときの体験や感覚を話すことができるようになってから、人の決断の後押しをすることが、よりできるようになりました。

そして、驚いたことに、多くの方が、道場での体験の話しに興味を持ってくれます。

これは、修行する者にとって、大変うれしいことです。

日本の中で洗練されていった剣術だからこそ、日本人として大切にする考えや在り方が凝縮されているからだと思います。

剣術の神髄の考えに触れることで、人の琴線に触れることが多いのだと感じています。

私は、剣術の中に、日本人が本来求めていた何かを見出したのかもしれません。

周りの反応

妻からは、普段でもあまりにも楽しそうにしているから、こちらまで楽しくなる、とよく言われます。

特に道場に行った後は、道場での学びを、昔から知っているかの如く話してしまうので尚更かもしれません。

 周りからも、本当に楽しそうに喋る、輝いているねと言われることがあります。

夢中になれるものを見つけたということも有りますが、極意が継承され続けている剣術に触れるだけで、人として語れることが多くなった気がします。

そして、周りとの会話の中で、事あるごとに剣術で学んだことや体感を具体例として出すことが多くなったせいか、対談に呼ばれるようになりました。

生涯続けようと思えるものに出会えることは、運が良かったことです。

とてつもなく長い年月を経て築き上げられてきた、変えてはいけないものを、それを、これからも学び続けていこうと思います。

北辰一刀流 (第七代宗家 椎名市衛成胤)

北辰一刀流(第七代宗家椎名市衛成胤先生の北辰一刀流)道場のホームページです。

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