宗家 椎名市衛成胤 について

北辰一刀流第7代宗家 椎名市衛成胤(しいなかずえなりたね)

昭和28年生まれ。茨城県竜ケ崎市城ノ内3-13-7 。竜ヶ崎一高、芝浦工大卒業。

日本伝統文化保存会会長、直心影流師範、鷹匠、剣道場建築「武床工舎」代表。

7歳のとき父が夭逝し、少年時代から旧家の主人となり苦労した。

父の死がきっかけで、人生や生死の問題について深く考えるようになった。

中学時代、陸軍大尉であった恩師武田治衛先生から剣道を学び、その生き方、精神に感化され、以後、先生を父と仰ぎ、武田流剣道に打ち込むようになる。

竜一高剣道部で、個人インターハイ出場。芝工大剣道部で故佐藤博信師範(剣道範士八段・警視庁主席師範)の下、全日本学生剣道選手権出場。

大手建築会社に就職するが、理想の人生を追い求め、1年で退職。剣道を生活の中心に置き、アルバイトをしながら、全国の多くの達人を訪問し指導を受けた。

27歳の時に、「人間は13,4歳頃の教育が一番重要だ。」という小川忠太郎先生の一言で、後世を育てんと教員を志し、28歳で母校へ再入学。剣道部コーチをしながら、佐藤師範から多くを学ぶ。

30歳で教員、小川先生の言葉を励みとし、管理職登用には目もくれず、平教員を全うし、生徒教育のみに情熱を注ぐ。

剣道を応用した融通無碍の教育で、多くの生徒・保護者の信頼と共感を得、また感動を与える。しかし、公務員マニュアルを超越しているため、体裁を重んじる教育長・校長には不評を買った。本人は、一切気にならなかったと言っている。

教員生活に生甲斐を感じながらも、行政や教育界への失望があり、また剣の奥義を極めたいという情熱を捨てきれず、52歳で退職。マイウェイをまっしぐらに進んでいる。

退職を期に、20歳のころより研究を重ねながら開発した独自の工法で、剣道場床工事専門会社「武床工舎」(ぶしょうこうしゃ)を設立する。

2013年、千葉家から請われて、第7代宗家を襲名。以後、椎名市衛成胤を名乗る。143年ぶりに宗家を復活させた。 

近年は現代社会への危機感から、本来の日本人の魂や生き方を伝え、次世代の人材育成を目指す教育啓蒙活動に尽力している。剣の道を追求する中で培った人生観を基にした教えは、門弟以外にも、剣道経験の有無を問わず、多くの人々の心を打っており、聴講生が後を絶たない。

講演・指導・道場工事の依頼を受けて、世界中を飛び回ると共に、その指導に感銘を受けた海外の受講者が、毎年、自宅道場へ修行に訪れている。

現在の指導は、専門の剣道・剣術はもとより、道場建築・日本伝統建築・造園・禅・古流武道・弓道・香道・兵法・放鷹術・陶芸・木工・日本刀・和装文化など、日本の伝統文化全般にわたっている。

私淑し、特に指導をいただいた師匠は、前述の先生方のほか、剣術では、直心影流・酒井章平先生、北辰一刀流・谷島三郎先生、青木秀男先生、剣道・堀口清先生、中倉清先生、中島五郎蔵、小中沢辰男先生。弓道無影心月流・鷺野暁先生等多数。それぞれの先生より精勤の印として、数々の頂き物がある。なお、稽古をいただいた高名な先生は数知れない。

書籍等

雑誌「剣道日本」に数々の連載があり、記事は好評を博し「真理・真実を追求した唯一無二の剣道家」と称えられた。

ラスベガスジャパンタイムスに「武士道」を連載した。

著書「日本武術武道大事典」剣術・剣道部門執筆(勉誠出版)

取材協力 北辰一刀流日比谷健次郎伝「紅紫の館」(未知谷)

北辰一刀流 (第七代宗家 椎名市衛成胤)

北辰一刀流(第七代宗家椎名市衛成胤先生の北辰一刀流)道場のホームページです。

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