秘め事


剣術の極意「切落とし」

全ての剣術の極意はは同じで、北辰一刀流では「切落とし」とといいます。これは、刀と刀の交差するときの物理的な現象です。気とか力に関係ないので、誰にでも今すぐできます。

しかし、心に何かあると、どうしても力味が出てうまく行きません。一瞬は無心になっても、コロコロ変わるから心といいます。心を安定させることは、すごく難しいのです。その安定させた心がないと切り落としはできないので、極意といわれているのです。

心の問題ということで、切り落としは、人格をあからさまにしてしまいます。腹の底が見えてしまうので、見栄っ張りには、とても怖いことです。知恵やトレーニングは役に立ちません。不安や執着心を、すべて切り落として、素直な自分に成り切り、あとは神に祈るだけです。

私は、このように教えることはできますが、身につけさせることはできません。各人が、苦労して発明するしかありません。切落しを発明すれば、昨日入門した者でも、ただちに免許皆伝となります。



千葉周作の新事実

千葉周作は偽名だった?

宮城県大崎市に斗瑩稲荷神社がある。千葉周作生い立ちの地という看板が立っている。

隣に光明寺がある。住職の伊藤さんが驚く話をしてくれた。昔は神仏習合で神社まで住職が管理していた。数代前の住職は気仙沼から来た。それを頼って周作先生親子が気仙沼から逃れてきたのだそうだ。公にできない事実があったのだという。それで神社の境内に住まわせた。

周作先生がこの神社の境内で6歳から16歳頃まで暮らしていたという。ここから江戸へ出たのである。とすれば、周作先生はは斗瑩の地で北辰夢想流を学んだのである。

その師匠、北辰夢想流千葉吉之丞先生の墓が光明寺にある。


周作先生は於兎松という名だった。江戸へ出るには手形がいる。しかし、身に覚えのあり本名が使えない。そこで、父は師匠吉之丞の子の幸右衛門の名を借り、於兎松は孫周作の名を借りて江戸へ出た。

光明寺には、幸右衛門、周作の墓も並んでいる。


周作の弟、定吉について

千葉定吉は周作先生の4歳違いの弟とされているが、瑩稲では暮らしていない。お玉が池に玄武館を構えたときに、突如現れ剣を使う。その時の定吉の年齢は28歳位。いったいどこで暮らし、いつ剣を学んだのか。

思うに定吉は、斗瑩の本物の周作の弟定作であろう。周作先生の盛名を頼って江戸に来た。周作先生は、それを実の弟にして面倒を見たのだろう。さすがの司馬遼太郎でも知らないことは多い。



北辰一刀流 (第七代宗家 椎名市衛成胤)

北辰一刀流(第七代宗家椎名市衛成胤先生の北辰一刀流)道場のホームページです。

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